学内で「みんな黒髪やな〜」と言っている女がいて吐きそうになった・鴨川の河川敷で1回生の頃を思い出した

 ・学内で「みんな黒髪やな〜」と言っている女がいて吐きそうになった

 11月の終わりに高大連携授業と称した附属高校で教鞭を取るイベントが組み込まれていたから、その準備のために通学を再開している。

 「通学を再開」って、お前1回生の頃からまともに大学行ってないじゃねえかよ。「高校で教鞭を取る」って、大学にも授業にも行かずに4年で卒業することに失敗した奴がなにを偉そうに高校生に話すつもりだよ。とか色々自分でも思うことはあるけれど、所属しているゼミで決められていたから仕方ない。できることならもう大学に足を踏み入れずに卒業まで行きたかった。

  新興宗教の拠点のように、山の真ん中に突如として現れるキャンパスが最後に大学に行った今年の2月からどのように変わったのか、蔦で覆われ、草木は手入れもされずに生茂り、廃墟同然にでもなっているのではないかと思っていたけれど、変わっていたのは食堂の営業時間だけで、普通に通えていた頃と何一つとして変わらないままだった。どうやら入構する前に検温することになっているらしく、検温会場に向かっている最中、ちょうど上賀茂神社と大学を往復しているシャトルバスから降りてきた女が、「見て〜、みんな黒髪やな〜」と話していたのが不意に耳に入ってきた。その瞬間、おれはとてつもない不快感を覚え、このまま踵を返し帰ってやろうかと思った。発言した女の容姿はハッキリと確認できなかったけれど、茶髪に全身ベージュで固めた、河原町で石を投げれば当たりそうな装いであったことは覚えている。その言葉は、就活や就職に向けて黒髪にしている3回、4回生を哀れんだ言葉にも聞こえたし、ようやく入構が許された1回生の黒髪を見て過去の自分たちを思い返しているようにも聞こえたけれど、それのどちらでも気持ち悪かった。

  人生で一回も「みんな黒髪やなぁ」と思ったことがない。だってみんな黒髪なのが普通だから。黒髪でない奴がマジョリティになる状況が1度も訪れたことがない。シャトルバスに乗っていた学生が全員黒髪じゃなかったときにだけ許される発言である。彼女の発言には「髪を染めている自分」への酔いを少なからず感じた。そんな発言をする奴がおそらく4年で卒業できるというのに、歯を食いしばってやりたくもない授業の準備をせっせとしているおれが4年で卒業できないなんておかしすぎる。その日昼飯を食べる予定にしていた食堂も13時30分で注文を締め切っているし、学内のコンビニも15時で閉店というビックリする営業スケジュールのせいでろくな食べ物が置いていなかった。全部あの女が悪いことにする。

 

 

・鴨川の河川敷で1回生の頃を思い出した

近は趣味が散歩です、と言っても差し支えないほど歩いている。バイトのない日は必ず松ヶ崎のTSUTAYAまでの往復30分の距離を歩いている。いつもの散歩コースにそろそろおれの名前を冠してもいいくらいだ。

 この前はバイトが無い日で久しぶりに快晴だったから、鴨川を下っていって出町柳まで1時間弱かけて歩いた。その前日の夜に猛烈に海老フィレオが食べたくなったから、出町柳駅ロッテリアで昼を食べて、また1時間かけて歩いて帰ろうという壮大な計画を立てていた。当初はロッテリアの店内で食べようと思っていたけれど、歩いているとあまりにも天気が良くて気持ち良くなり、ロッテリアで海老フィレオとポテト、セブンイレブンでアイスコーヒーとハッシュドポテトを買って外で食べることにした。

 両手にジャガイモを携えて丁度良い場所がないか河川敷を歩いていると、土手に上がるための階段を見つけたからそこに腰掛けて昼を食べることにした。1人で川を眺めながら昼を食べていると、1回生の頃を思い出した。

 入学して1ヶ月、少人数のクラス授業が日本語の分からないセネガル人の留学生を筆頭としたスポーツ推薦組と同じと知り、同じ班になった卓球の推薦でやってきた男の子とのライン交換を断り、学部のグループラインへの招待も断り、馴染むことを完全に拒否していたおれの足は早くも大学に向かなくなっていた。当時は実家から地下鉄を使い、京阪に乗り換え、出町柳で降りてそこから自転車で大学に通っていたから、通学路での時間潰しには苦労しなかった。

 ある日は枚方市駅で降りてそこのマクド朝マックを食べた後、T-SITEでコーヒーを飲みながら小説や雑誌を読む。再び京阪に乗り込み出町柳駅で降りると自転車を取りに行って、鴨川の河川敷に向かう。ちょうど昼時になっているから、土手へと上がる階段に腰掛けて母親が作ってくれたおにぎりを1人で食べる。そして百万遍にある古着屋に行き、3限の終わる時間まで店主と話に花を咲かせる。またある日は樟葉駅で降り、樟葉モールを1通り1人で楽しむ。再び京阪に乗り込み出町柳駅で降りると自転車を取りに行って、鴨川の河川敷に向かう。土手へと上がる階段に腰掛けて母親が作ってくれたおにぎりを15時ごろに1人で食べる。そして百万遍にある古着屋に行き、4限の終わる時間まで店主と話に花を咲かせる。そんな、リストラされたことを家族に伝えられていない会社員のような生活を1年の秋学期は週4でしていたことを、同じ階段に腰掛けて1人で海老フィレオを食べながら思い出して、感傷に浸ったりしていた。

 そういえばこの日は平日だったから授業があったはずで、結局食べているものが変わっただけでやっていることはなにひとつ変わっていないことに今気付いた。むしろ授業があることを完全に忘れている分退化している気もする。海老フィレオは美味しかった。