僕たちはみんな大学生になれなかった

 大学三回生の春までの二年間、実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。

 こんな文章から始まる小説がある。おれを含めて、数多くの人を魅了してきた「四畳半神話体系」というその小説は、京都大学に通う冴えない青年を主人公に、鴨川や下鴨神社など、京都の地を舞台に物語が進んでいく。おれはこの小説を読み終わった後に、京都への猛烈な憧れを抱いたことを覚えている。その後、作者の森見登美彦氏が発表していた他の京都を舞台にした作品や、万城目学の「鴨川ホルモー」シリーズ、瀧羽麻子の「左京区」シリーズなどを読み漁り、八尾のしがない自称進学校に通っていたおれは日に日に学生の街、京都への憧れを募らせていく。高校2年生の頃には「京都の学生になる」ことを前提に志望校を選定していた。おれは京都の学生になるんだ。受験期真っ只中になってからもおれは京都を舞台にした小説を左手、シス単を右手に猛勉強を重ね、第一志望に惨敗、第二志望にも惜敗を喫し、あれよあれよと3月の後期受験にまで歩を進めてしまっていた。担任との電話で、「後期はとりあえず京都橘と佛教を最低ラインにします。そこにも引っ掛からなかったら浪人します」と頑なに京都に拘った志望校を伝えたことを覚えている。京都縛りをしていなければもっと楽に受験を終えられていたのではないかと、未だにずっと思っている。そしておれは40倍の倍率を勝ち抜き、後期の受験が始まったときですら全く想定していなかった京都産業大学へなぜか入学してしまった。今考えればおれの人生はここから狂っていくことになる…。

 

 

 

 前置きが長くなった。そういうあれこれがあっておれは無事京都の学生になることができたものの、「おい、おれは天下の京都の学生じゃい!道開けんかい!」などと揚々と電車に乗り込んでいたのは4月の最初の2週間ほどで、それからは実家から2時間半という怪奇的な通学時間に悩まされることになる。更に追い討ちをかけるように、おれは全く大学に馴染むことが出来なかった。それはビックリするくらいに友だちが出来なかった。入学してすぐにオリエンテーションが行われ、だいたいの新入生はそこで数多のサークル・部活の勧誘のビラを貰うのだけど、おれは1つも貰えなかった。本当に1つもだ。隣の冴えないメガネの角刈りくんですら貰っていた気がするけれど、新入生感があまり足りなかったのだろうか、と翌年は友達とリュックを背負い、同志社の新歓に紛れ込んだところ大量のビラを貰うことに成功した。リュックだ。あいつらはリュックで新入生か否かを判断しているぞ。当時のおれ、大人しくリュックを背負っていくんだ!そんなことは露知らずサコッシュで新歓に乗り込んでいた当時から怪しい気配を漂わせていたけれど、やはりおれの楽しいキャンパスライフは霧の中に消えていったのである。

 大学では音楽をやり切るぞ!とビラも貰えずに新歓にすら行けなかった軽音のサークルに入部し、そこでようやく数人の友人は出来たものの、その他多くの同回生の「頑張っている感」に嫌気がさして全くコミュニケーションを取る気が起きなかった。そして友人は増えないまま1回生の冬ごろに「他の同期のドラムは曲を譜面に起こし、しっかりとコピーをしている中、唯一の耳コピで感覚派ぶっていたおれが一番ドラムが下手くそだった」ことに嫌気がさし退部をした。

 結局おれは俗に言う大学生というものを嫌悪している。そういった人たちと出会うことが出来れば良かったのだけど、唯一学部でクラスとして少人数で行われる授業(だいたいの人たちはここで友達を見つけているらしい)があろうことかスポーツ推薦組と混合クラスなのであった。おいおい!おれは倍率40倍を勝ち抜いた後期組だぞ!そんな奴がスポーツ推薦組と仲良くなれるはずがないだろう!なんでバリバリの日本語も喋れない留学生がいるんだよ!そんな偏見丸出しの気持ちで歩み寄ることをしなかったから勿論友達はできず、というか友達になれる人がいなかった気がする。結局その少人数授業はギリギリまで欠席をして、60点というお情け丸見えの点数を春学期末に取ることになる。秋学期は1度も行っていない。

 結局1年生の間は基本ずっと1人でいた。4月5月の最初の方はまだ「まだまだこれから楽しくなるぞ!」という期待を込めていたものの、半袖を着る頃には大学をサボって通っていた枚方T-SITEでPOPEYEを読みながら「おれには大学は向いていないな」ということに気付くのであった。

 決しておれは毎晩飲み会を行い、サークル内の女を取っ替え引っ替えする大学生になりたかった訳ではない。おれが憧れていたのは、京都の地で、数少ない気の合う友人数人と、ダラダラと単位を落としつつ、冴えなくも楽しい学生生活であった。今のおれには何もない。あるのは京都の地だけである。全く理想とは逆の生活のくせに、単位だけは理想通り、いやそれ以上に落とし続けている有様である。なぜおれはこんなに大学生活に失敗したのだろうか。確かにおれは入学当初に選民思想に蝕まられ、「後期の40倍を勝ち抜いたおれに相応しい奴」が向こうから歩み寄ってくるのを待つだけであった。高校生の頃も同じような思想だったにも関わらず、気の合う友達が出来てしまったことが悪い教訓になってしまっていた。大学は全く別物だった。大学はクラスで行われる授業が殆どなく、みんな外面で付き合っていることに気付いた。授業では仲良くなれない。数少ないクラスで行われる授業、またはサークルや部活で内面をよく知り、友情を深めていくのが正しい友達の作り方だったのかもしれないけれど、おれはさっきも書いたみたいにどちらにも馴染むことすら出来なかった。大学に入り全ての選択肢を間違い続けここに至っているのである。今では大学を辞める選択肢すらずっと頭の中にチラついていて、悲しいことに、大学内ではそれを止める人すらいないのである。おれが大学を辞めたとて、たぶん誰も気づかない。おれが退学届を突きつけた日にも、京都産業大学にはいつものように日が昇る。

 高校で仲の良かった友達もみんな(おれほどでは無いにしろ)大学での生活には苦しんでいるような気がする。それでも、彼らのSNSで大学の友人と思しき人たちが登場したときには、おれはどうしようもなく悲しい気持ちになってしまう。おれはそんな躊躇なくSNSに写真をあげられる人間関係を築けなかったよ、と。

 コロナ禍により大学に行けずに、辛いやら悲しいやらを言う人たちがビックリすることに存在しているらしい。おれとしてはこのまま大学が無くなってしまえばいいのにという気持ちでいっぱいである。どうやら既に秋学期の授業は始まっているらしいが、パソコンすら開いておらず、履修の抽選がどのようになったのかも把握していない。全く学業へのモチベーションが無い今期、おれは果たして大学生になれるのだろうか。