(見通しが)甘い生活

 成績発表までついにあと1週間を切り、親への言い訳を考えることに最近は専念している。今期で留年を決める確率が60%くらいである。つい先日、親にラインをした際、「何単位とれそうなん?」という150キロの真っ直ぐな問いを急にぶつけられ、咄嗟に「最低18はあるね」とフルスイングで返してしまっていた。現実、おれが全く関与しない奇跡が何度も起きた結果取れそうなのが18単位だ。それになんと、成績発表の約10日後には家族で長崎に旅行に行く予定である。成績発表後に母親は「あのドラ息子がこの前しきりに『長崎旅行はコロナもあるし取りやめにならんの?』と聞いてきたのは成績のことで詰められるのを恐れていたからだ!」と気づくであろう。9月4日現在のおれはコロナより遥かに成績発表のことを恐れている。

 まだキャンパスに通うことが許されていた時期は「おれが成績不良なのは友人のいないこのキャンパスのせいだ」と踏ん反り返ったりもしていたものだが、全てがオンライン上で行われた今期の授業ですらこの体たらくではもう言い訳のしようがない。昨年の春学期終了時に、言語の単位を全く取れないでいたことを母親に詰められた際に「少人数の授業に行って発言をすることがとても辛い」と涙ながらに主張したが、結局、教室に行かなくても少人数の言語の授業をとることができなかった。天性のサボり魔である。キチンとその都度怒ってくれる人がいないとおれはどこまでも堕落する。自分で書いておいて少し悲しくもなるが、これが現実である。このままではダラダラと学生生活をあと3年は続けてしまいそうである。すっかり責任感を全く感じない生活にも慣れてしまった。昨年度は所属していたゼミの活動が断続的にあり、少しばかりは自らの役目を意識して学校に行っていたものだが、所属しているゼミは基本学外の人たちに向けて活動を行なっており、新型コロナウイルスという、京都産業大学がその名を一躍全国に知らしめたといってもいいウイルスのせいで殆ど活動の全てを封じられることになった。ゼミが形骸化すると、頭の容量100のうち5は占めていたおれの中の責任感が0になり、その5をとても疎ましく感じていたおれは、その結果どこまでも飛べるような感覚になり、そして、何故か、堕落していった。今に至っては8月中頃が提出期限だった秋学期のゼミの進行予定表、8月最終木曜日が提出期限だったゼミの課題を全て放り出している。そして誰も何も言ってこないので、いよいよ諦められたか、呆れられたか、みんなもどうでもよくなっているかである。おれとしてはいちばん最後がありがたい。【堕ちるときはみんな一緒に】をモットーに生きている。