2020-4/30

 話してる言葉で文章書くの難しすぎる、と最近ずっと思っている。常から標準語で話していればまだマシだったのかもしれないけど、普段方言を話しながら生活をしている人からするとこれってすごい難しいことだろう。関西の人は特に難しいんじゃないか。小さい頃から標準語を馬鹿にしているような風潮が常に流れてきたから他より標準語を用いることに抵抗を持つ気がしている。おれも文を書きながらずっとむず痒い感覚がある。普段思っていることをうまく文に移せない原因はここにあるのかもしれない。二葉亭四迷ってすげー。話し言葉で書いたら良いんじゃない?って最初に思いついたの変態すぎる。おれも関西弁で書いたらいいんじゃない?って言ったら国語便覧に載ったりしないかな。ここ2日はずっと朝井リョウを読んでいる、若い人たちの心情を書かせたらお手の物、お手上げです!と読み終わった後に毎回思う。何者だけは読む前に深呼吸を5回くらいしないと読み出せない。読み出せないし、しんどくて途中で毎回読むのをやめてしまう。通算250回くらい深呼吸をして読み出して最後まで読めたのは2回くらいだし、読み終わった後に300回分くらいのバカでかため息を5回くらいした記憶がある。最後に全部読んだのは2年くらい前だと思うけど、なんかあの読後感ははっきりと覚えていて、毎回読みながらあの読み終わった後の感じ味わうの嫌やなーと思っている、そして毎回途中で読むことを諦める。明日もう一度チャレンジしてみようと思う。