2020-2/15

 コロナウイルスが蔓延る河原町に行った。電車が閑散としていた、マスクしている人が思ったより少なくて恐ろしかった。四条もいつもとまとっている雰囲気が少し変わっている気がした。ちょくちょく通っていて顔を覚えてもらっている古着屋に行った、「もう2020年やから、90年代のものもビンテージと呼ばれるようになっていくし、80年代のものは値段もうグングン上がっていくと思っているんよ」という話をされた、なるほどな、と思ってそう返した。持っている服の(たぶん)ほとんどが90年代のものだからちょっと嬉しかった。数着持っている80年代以前の服のことを考えるとゾクゾクした。スナップTなんかはちょっと前まで今の三分の一の値段ほどで取引されていたらしい。時代が進むにつれて評価される服が変わり、値段も変化する、古着にしかない面白い感覚だと思った。何気なくズボンを眺めていたら「それは80年代のドイツで使われていたプリズナーのパンツ、言ってしまえば囚人服やね」と言われた、悪行をしていた奴が強制的に穿かされていた服を真っ当な善人が好んで着用するなんて絶対におかしいだろ、と思った、囚人がファッション性に優れた服を着ていたのも気にくわない。そういえば日本の囚人ってどんな服を着ているんだろう、上下グレーのスウェットのイメージしかないけれど合っているのだろうか、80年代のドイツでもそういった服を着ていて欲しかったね。古着屋を出たあと友人と合流した。そいつもマスクをしていなかったから「怖くないん?」って聞いたら「人間死ぬ時は死ぬって決まってるから」とやたらスケールのでかい話をマジな顔でされた、ちょっと距離を置こうかなと思った。その友人と服屋を見て廻った、普段は行かない大手チェーンの古着屋や、セレクトショップ数店を訪れた、おれがよく行く個人でこじんまりと経営している古着屋を友人と訪れる気にはなれない、なにか恥ずかしいような気がする。友人は数着か購入していた、おれは探していたモノが無かったからなにも買わなかった、そういうことは多々あるが、友人はそれを気にしていたようで帰る間際に「手ぶらすぎん?」と言われた、「まぁこういうことようするから」と返した。本当は金がないんだ、今日も晩飯に豚カツを食べてしまった、1200円もした、恐ろしい、ご飯も味噌汁もキャベツもおかわりしてやった。晩飯を食べ始めたあたりから急に早く1人になりたくなった、1人の時間が好きすぎる。友人なり、先輩なり、気を使う人といると1人の時間が好きなことを痛感する。多分いれて3時間くらいだろう、それ以上となると露骨に口数減ったりすると思う。おれがずっといれるのは気を使わずにいれる人だけだ、一人暮らしを始めてからより一層そういった思いが強くなったような気がする。大阪に実家のある友人が「帰るのだるいなぁ」と暗におれの家に泊まらせろ、と主張するかのような言葉を発していたがさすがに勘弁してくれ、と思った、これ以上きみといたら発狂してしまうよ、そういえば明日11時からバイトって言ってたよな、泊まって帰っても明日の朝またしんどいぜ、そういった言葉が喉元まで出てきて危なかった。なんとか解散することができた、1人でバスの中で17歳とベルリンの壁を聴いた、解放感とシューゲイザーの音色が混ざり合って叫びたい気分だった。“終日”という曲が素晴らしいんだ、YouTubeにMVがあるはずだから聴いて欲しい。半分ほど走ったあとそういえば友人が春から休学して留学に行くことを思い出した、もう少し一緒にいる時間を大切にすればよかったな、と思ったけれど解放感のほうが強かった、薄情だと思う。そういった友人といることは憂鬱に感じてしまうけれど古着屋の人と話したくなるのはなんでなんだろう、とバスの中で思った、関わってメリットのある人とそうでない人を無意識のうちに選別してしまっていたら嫌だな、と思った。自分が馬鹿にしてきた人たちと同じになったらおしまいだ。