2019-9/15

 もうすぐ学校が始まるというのに、居心地の悪い浮遊感に包まれている。弛んだ糸を張りなおすきっかけが見つからないまま、糸を引きずりながらズルズルと生活をしている。本来なら単位発表を受けて、低単位者に行われる面談がそのきっかけを果たしてくれるはずだったけれど、それが思いのほか軽い感じで終わってしまって、その拍子抜けした感覚が履修登録にも影響を及ぼしたのか、必修の科目も含めて抽選で惨敗してしまった。この大学には低単位者を4年で卒業させる気はあるのだろうか?忖度を希望する。

 で、その単位は「頑張れば4年で卒業、死ぬ気で頑張れば就活と卒業を両立できる」というラインにいる。本来なら楽に卒業できるはずの日本の大学を頑張らないと卒業できないのは情けない話だけど、もっと情けないことに、これまでの人生で「死ぬ気で頑張った」どころか、「人並みに頑張った」経験すら思い出すことが難しい。バイト中、いつもの単純作業の中で考えていた。せめて人並みに頑張った経験はあったか、と。

 

 高校の部活は高2の秋にほっぽり出して、その後はやれ学内ライブや、やれ文化祭だ、などとスタジオや視聴覚教室に入り浸る学友たちを横目に水泳部のところに遊びに行くようなことをしていたし、(そのくせ卒業式ではちゃっかり花を貰い、しれっと3年間軽音楽部に所属した顔で写真に写った)異様な盛り上がりを見せる体育祭も、真正面から盛り上がろうとする集団を斜めから眺めて団長(リーダー的な存在)とのひと悶着を起こしたりした。体育祭も文化祭も楽しかったことには間違いはないんだけど、どれも正面から楽しんだわけじゃなく、結局友達とワイワイすることが楽しかったのであって、行事が終わった後に号泣したり、燃え尽きた感覚に襲われることはなかった。受験にしたってそうで、大学受験はみんなが目の色変えて予備校に通っていた時期に彼女と週1、2で遊んで、塾にも予備校にも行かずにギリギリ最低ラインの大学に現役で滑り込むことが出来てしまった。高校受験のときもわりと安パイなところを志望していたけど、バカみたいな塾でアホみたいに勉強させられていた記憶がある。このときは人並みに頑張っていたのかもしれないけれど、残念ながら胸を張って頑張ったといえる記憶を持っていない。ただ、中学の頃はひたむきに頑張っていたのかもしれなくて、たとえば部活動でも、学校の周りを走る、いわゆる外周というものがうちのクラブでは信じられないくらいに多くて、確か400メートルちょっとあったその距離を多いときでは25周とかさせられて、そのタイムで試合のメンバーを決めるという狂った顧問だったのでひたすらに走っていた記憶が残っている。なんであんなに走っていたのかは分からないけれど、今思ってみれば中学の部活動の時がいちばん頑張っていた時期なのかもしれない。ただひとつ確かなことは、青春と聞いて思い浮かべるのは、塾でもなければ、外周中に見ていた景色でもない、ということだ。